KOTOKO日本初上映レポ

2011年11月26日 有楽町朝日ホール

東京フィルメックスでCocco主演映画「KOTOKO」日本初上映を見てきました。
順序としては上映前にCoccoと塚本監督で舞台挨拶。
上映後、塚本監督のみでQ&Aタイム。
国際映画祭なので話すたびに通訳が入るスタイルでした。
ベネチアのときと同じ通訳さんだったような気がします。
で映画本編も下に英語字幕が。

舞台あいさつに出てきたCoccoがガチガチに緊張してたように思います。
表情が固まってました。
ここでの喋りは各種サイトに載ってるのがほぼそのままなので割愛します。
ちょっと笑ったのが、
進行役に一言促され、通訳いるのに思わず英語でしゃべりだしてしまって
「あ、間違えた(日本語でいいんだったの意)」って言ったところですね。
このあたりから少し表情がやわらいだような気が。
英語ができる分、通訳さんがちゃんと訳せてるかを
うなずきながら聞いてるのが何とも言えない感じでおもしろかったです(笑)
写真撮影の時に塚本監督が途中からピースをしだして
それに気づいてCoccoもピースをするんだけど、
自分たちの番の時にそれを撮れなかったプレスが
「こっちにもピースおねがいしまーーす!!!」って大声で言ってたのがもう。


さて本編の感想です。
映画公開は来年春ですが、私はネタバレ含んで感想書きます。
自分のサイトなので改行などの配慮もしません。
わざとここまで前書き長くしたので、
内容を知りたくない人はページ閉じてお帰りくださいまっせー。



映画の内容はすでにいろんなとことで簡単に紹介されてる通り。
叫び声とか血だらけとか苦手なジャンルの映画なんでね~。
あんまり作品そのものをどうこうは言えないんですが。

Inspired moviesの拡大版です。

曲からインスパイヤーされたのではなく、Cocco本人からインスパイヤーされたという。

たぶんあれを普通に商業映画作品として制作するなら

内容はあのままで、俳優業を生業とする人々で作ってるはずだから。

 

Coccoいろいろ歌います。
沖縄生まれの設定なのでおなじみの沖縄民謡「月ぬ美しゃ」も歌うし、
3曲くらい新曲ってことでエンドロールにタイトルが。
劇中歌が「のの様」「w/o u」、主題歌が「Lollypop」でした。
歌を歌ってるシーンはもはや普通にCoccoでしたね。
きちんと演技をしていたんだけど、CoccoはやっぱりCoccoなので。
そこが欲しくてCoccoの映画をとりたかったんだと思うけど、どうしてもCoccoなんだよなぁ。
あと現実に引き戻されるのは畳んでる洗濯物にグッズのタオルがあったり
息子がグッズTシャツ着てたりするところかな。
そういうのは排除してほしかった気もします。

まぁ、虚構(フィクション)と現実の線引きをあえてしない、

虚実入り混じった映画っていうのはこんな感じなのかもしれません。


Coccoが以前「目を患って~」って言ってたことがあって
私それは単純に目が悪いだけだと思ってたんですけど、複視だったんですね。
今回の映画のものが二つに見える幻視って、それが元ネタってことかと。

私が一番気になっていたのはCoccoの声です。
演技をしているときはどんな声なんだろう。って思ってたんです。
で、ふたを開けてみるとナレーションしてる時のような声でした。

出演者のネタバレとしては、達身も仲村監督もいたし
姉役、実姉でしょ?
でもって成長した大二郎、実の息子でしょ??(KOTOってきっとそうよね)

家の中に飾ってある息子と琴子の写真はもう完全にCoccoと実子の写真。

中には出産直後っぽい感じのものもありました。

どすっぴんの感じとかドキドキですよ。

 

塚本監督演じる田中とともに姉のもとにいる息子に会いに行くシーンは

Inspired movies「歌のお散歩。」で出てきた海辺だと思ったんですが、どうでしょう?

姉に「私絶対幸せになる。私を置いてった人たちが後悔するくらい幸せになってやる」(このセリフはニュアンス)

っていった部分とかはかつてCoccoがよく言ってたことだな。っていうのもあるし

本当、Coccoを追ってるファンには元ネタがよく分かる映画ですね。

監督はこういうのを映像化できる分、ずるいですね(笑)

別にエロいシーンではないんですが、田中が琴子の胸を触るか触らないかくらいのシーンがあって

さわんじゃねぇ!という軽い嫉妬を覚えましたwww

笑いのツボは外人さんとは違うなぁ。と思いますよね。

外人さんが笑ってたのはどこだったか忘れちゃったけど、

日本人が笑ったのは田中が琴子にプロポーズする真剣な場面で

琴子の吸ってる煙草の煙がきれいすぎる輪っかだったところと

テレビ画面のなかで枝野官房長官(震災当時)風の人が

「がんばろう、にっぽん!」って言ってたシーンじゃないかな。

あとはアームカットで血だらけになった腕を洗うために風呂場にいる琴子に

それ違うと言われながらタオルを渡すために何往復もする田中と

田中に指示するときに風呂場から出てくる血だらけの腕。

 

苦手苦手なジャンルなんですが、好きなシーンもありまして。

息子を殺めた後(実際は死んでないけど)部屋中が段ボールの装飾で埋め尽くされて幻想の世界に変わりましたよね。

ベビーベッドも段ボールだし、2体の人形が琴子の前から消えた田中と大二郎だとしたら

これまでのことはすべて嘘だったのではないか。っていう。

あれのシーンは単純にキレイだな、すごいな。って思いました。

 

最後に成長した息子が訪ねてくるシーンに(設定としては小学生らしい)塚本監督の愛を感じました。
Coccoにインタビューを重ね、これまでのCoccoの言葉からストーリーを考えたとのことだったので、
たぶん「大丈夫であるように。」も見ていたんでしょう。
「子供が生まれて『もののけ姫』のラストで緑が再生のを願う気持ちが湧いた」っていうCoccoの言葉が、あの最後に現れてる気がします。


【あらすじ】※うろ覚えな部分含むのでたぶん間違っている個所もあります※

山本琴子(山元かも)は雑貨屋さん(?)で働くシングルマザー。
琴子は人が二つに見えてしまう幻視に悩まされている。
彼女は息子、大二郎を愛するあまり精神に異常をきたしていくのだが
赤ん坊の息子を抱いて「私がこの細い腕を離したらこの子は落っこちる。」というような
息子が死んでしまうことへの強迫観念がそうさせているような。
散歩中に子供かわいさによって来る人がいれば
危害を加えられるのでは。という妄想から相手が二重に見えてしまい、
どちらが本物か分からないのでなりふり構わず暴れてその場を立ち去る。
そんな具合。歌を口ずさんでいるときは精神的な安定を得られる。
映画の序盤で住んでいた街を離れ、新しい街で極力外出をしなくていいような部屋づくりをするが大二郎は気に入らなかった様子。
結局外へ出なくてはいけなくなってしまい、振り出しへ。
三度引っ越した部屋では屋上から大二郎を落としてしまう妄想まで起き、
とうとう幼児虐待の疑いがかかり、2人は引き離される。
大二郎は琴子の姉に引き取られ、
琴子は勤務する不動産屋で賃貸広告にガタガタの線を引き
家に帰ってきては生きている証とばかりにアームカットを繰り返す日々。
ある日、いつものようにアームカットした腕を手当てしていると
姉から大二郎に会いに来てもいいという電話が。
ウキウキで実家に戻り、息子と姉家族とともに楽しいひと時を過ごす琴子。
すこぶる調子はいい。
しかしまだ一緒に暮らしてもいいという許可は下りていない。
実家を離れるときに一本道を曲がったところで立ち止まり、
道からピースサインだけを向けて帰っていく。
琴子は家に戻ると相変わらずの生活の繰り返し。
そんなとき家の屋上で佇んでいるところに男が声をかけてくる。
実はこの男、琴子が大二郎に会いにく途中のバスに乗っており、
このときの歌声に惚れてずっとストーカーをしていた田中という男。
しかも名の知れた小説家だったのだが、
精神バランスを崩しっぱなしの琴子にボコボコにされながらも一緒に暮らしだす。
一時「愛することが仕事だったらいいのに。」と小説書くのをやめようかとも考えるほど。
初めて会ったとき2人に見えてた田中が現実のひとりだけになったことに琴子は喜び、

スパンコールの衣装をまとって田中のためにオンステージ。
翌日、引く線もまっすぐで元気に仕事をこなし、
大二郎と暮らせるという手紙を受け取るが田中はいなくなってしまう。
大二郎を預けに行った幼稚園に貼ってあった父兄参観のお知らせを見た後、花壇を蹴って帰る琴子。
今度は大二郎が2人に見えてしまい、強迫観念も復活。
消しても消しても消えないテレビのテロリストの映像。
現実に引き戻された琴子は息子が無事だったことに安心するが、
自分の知らないところで息子が死ぬくらいならいっそ自分が。と大二郎の首を絞めてしまう。
こうして琴子は精神病棟へ収容される。
喫煙で建物の外へ出ることが許されるため監視つきの中、踊る。踊る。踊る。
収容されてどれくらい経ったのか。
息子が面会に来たと言われ、
死んでいなかったことや小さかった息子がひとりで面会に来たことに
琴子は混乱するがもう表情には表れない。
大二郎は相槌すら打たない琴子に対して近況を話しながら、
かつて琴子が自分にしてくれたように手を出し、鶴を折って部屋を出る。
面会室の窓から大二郎を見送る琴子。
角をまがった大二郎はピースサインだけを向けて帰っていく。